お寺でのセミナー、研修報告

2015年 臨床瞑想法指導者講習会修了者3コース(基礎、上級、応用)修了者1瞑想集合

2014年 臨床瞑想法指導者講習会 3コース(基礎、上級、応用)修了者 

 おめでとうございます

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2014 年9月27-28日

京都大学大学院医学研究科医学教育推進センター錦織准教授のチームと死生観学習を連携している京都音羽病院総合診療医神谷部長チームなどが一緒になって、「死生観・スピリチュアルケアワークショップ」に挑戦されました。

医学教育にどのようにスピリチュアルケアを導入するかが「鍵」。

「スピリチュアリティは体験によって学習される」ことを大事にしてセミナーに参加されました。

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2013 年9月3-4日

京都大学大学院医学研究科医学コミュニケーション学主催で、スピリチュアルケア、死生観トレーニングをしました。

参加者は、院生、元院生、医師、看護師、保健師、管理栄養士、薬剤師などでお互いの生きがい観、死生観などをワークを通じて学びました。

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2013 年8月3-4日

 

 

日本ホリステック医学協会 スピリチュアルケア研修会

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2012年9月27-28日
高山日赤病院研修医&新任看護師スピリチュアルケア研修会

 

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2012年9月21-22日

第91回主催スピリチュアルケアセミナー
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セミナー参加者Aさんの感想文です。

今回のセミナーには、自然あふれる中で瞑想をしながら

ゆっくりとした時間を過ごしてみたいという気持ちと

これからセラピストとして活動していくうえで

心のケアについて考えてみたいという思いから参加をさせていただきました。

私はいつも「生きている実感」を探していたように思います。

“無我夢中に情熱を傾けられるる未来のビジョン”

“自分を一番大切だと思ってくれる人の存在”

“自分自身や自分の決断を信じること”

そういったものが私には無いと感じて生きてきました。

自分は十分恵まれた環境で生きてきたはずなのにです。

 

それはすべて自分に原因があって

自分と向き合って自分の声を聴いて

解決しなければならない、と焦りが募るばかりでした。

でも、それでもそれが無くてもすべてできなくても

こうやって山の中で木漏れ日を美しいと感じ

風に吹かれて気持ちいいと思える。

こんなにも心地よい静寂に包まれて

昨日まで名前も知らなかった人たちと

温かい言葉を交わせる。

そしてご飯がとても美味しい。

仏様の言葉がストンと腑に落ちたりお経がどこか懐かしい。

「私は生きている」「生かされている」

生きている実感とは、何も難しいことではなく

こういうことなのかもしれないと思いました。

 

千光寺さんに初めて降り立った時

本当に懐かしいと感じたんです。

ここは私であり日本の故郷なんだなと思います。

またお訪ねしたいです

 

セミナー参加者Bさんの感想文です。

テーマ 死に様は生き様

彼岸に入っても残暑は厳しく、街の空気はまだ夏の色を残したままだった。

それでも、高山に着いた頃には秋らしい雲の流れと風の匂いを感じる事が出来た。

クルマはいよいよ境内に入り、袈裟山中腹にある五本杉に立寄り山門へ向かう。

樹齢1000年以上と言われる杉は堂々たるもので、時間を超えて此処に在るという存在感を肌で感じた。

これから学ぼうとするスピリチュアルケア・セミナーに期待とも不安ともいえる気持ちで山門を潜った。

私は「スピリチャル(スピリチュアリティ)」という用語について、多少なりとも胡散臭さを感じていた。

それは目に見えない世界と自分との関係の模索を指しているようにも思えたからだ。

抑も自身も確固とした揺るぎのない自己を持ち合わせているとは思ってもいない。

不安定な自己がや超越した存在と一体どんな関係を築けるのか疑問だった。

イメージとしては創造主と自己が繋がることで、抱えて居る問題や前世問題を解決していくものという漠然としたものだった。

そして、そのイメージすら曖昧模糊としたまま今まで過ごして来た。

セミナーでは、まず、第一セッションとして、この「スピリチャリティとは何か」を考える時間が持たれた。

今まで私が漠然と抱いていたイメージとは違う確かなモノを手にした気がした。

肉体やメンタルの奥底にある「究極的自己」とそれを越えたところにある「存在(超自然)」、

それが私の求めた答だった。

まず、自分の心の中にある「霊性」に気付く事から、私の「スピリチュアル・ケア・セミナー」が始まった。

私は昨年夏にガンの宣告を受けた。

そして、その夏から今年にかけて二度の手術と抗ガン剤を体験した。

まず、思ったことは「死ぬ」かもしれない病気にかかったこと。

今まで健康で「病気」や「死」とは縁がないと思っていた。

今、此処に来て「死ぬ」ということは一体どういう事なのだろう・・・?

私は生ききったと言えるか・・・など、

くよくよ考えたり、開き直ってみたりという心の変化をガン宣告から手術当日まで約半月間向き合った。

最終的には「生きられるときは生きられる」ということで、「委ねる」という結論を得た。

この時は思い及ばなかったが、多分「究極的自己」と「超越的存在」に自分を委ねたのだと思っている。

しかし、「死」と向き合う事は恐かった。

何しろ経験をしたことのない事柄だったから、検査も手術も、目の前にある「死」という言葉も・・・

ただ、勇気を振り絞って「委ねる」しか方法がなかった。

セミナー1日目の第3・第4セッションの「臨床(エンディングワーク)」「死生観(四十九日臨死体験)」のロールプレイングは昨年夏に考え腹を据えた部分があったので、受け入れる事は容易であった。

ただ、私の経験上ではあるが、「死」を受け入れられない状態であったら非常に動揺するだろうと感じた。

1日目第2セッションの「自然療法」と2日目第5セッションの「瞑想・勤行」は深く繋がる何かを体験することが出来た。

それは自分が「自然」に溶けていく感覚であり、自分が「自然」の一部であると体感出来たことではなかろうか。この感覚が諸事を「受け入れる」ことの土壌になるのだろうか。

私は深呼吸することを忘れていたような気がする。

大自然のなかで呼吸をするのはなんと爽快で気分のいいものだったか。

私は目の前にある仕事や何かを解決する事に意識を向け、本来、最も意識を向けるべき大事なものを見過ごしていたのかもしれない。

現代の日本では宗教的な色合いのあるものを嫌う。

しかし、信教までとは言わないながらも何らかの信仰があったなら、「超越的存在(超自然)」も「死」ももっと容易く受け入れられたと思う。

今、まだ私は生きていて、今後もまだ生き続ける積もりでいる。

そのなかで「これからどんな人生を歩みたいか」という問いかけに対して私は「学びを纏めてゆきたい」と答えた。

プライベートなこと、社会的(仕事など)でやりたいことはまだ多くあった。

焦っている積もりも生き急いでいる積もりもなかった。

しかし、2日目第5セッションの「グループロールプレイング」で言われたことが非常に印象に残っている。

「そんなにがんばらなくてもいい」

「もう、何か新しい事を手に入れなくても、今、そこに既に持っているよ」

そう指摘されたことで、目から鱗が落ちた。

病気になると頑張ってしまうし、闘う(闘病)なんていう表現もする。

自分はまた病気になる原因を作っていた事に気付いた。

「自然体」でと簡単に使っているが、その「自然体」でいることは自分にとってまだ発展途上かもしれない。

しかし、それも「よし」としていけばいいか・・・と。

この二日間は私にとってとても意義深いものとなった。

これからは学んだことを生かしていけばいいのだと思い、気分晴れやかに袈裟山をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 




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