臨床瞑想法研修に参加して

2017-05-22

臨床瞑想法基礎講座に参加して

神社神道神職・精神科医・産業医

池内龍太郎

大下先生、先日は5/5~5/6にかけて、2日間にわたり臨床瞑想法の講座に参加させていただきありがとうございました。

おかげさまで大変、充実した臨床瞑想のトレーニングができました。

今回は、臨床瞑想法の中でも「ゆるめる瞑想」と「みつめる瞑想」を中心に学ばせていただきましたが、このように、瞑想を幾つかの種類に分けて系統立てて学べる機会というのは他に類がないのではないでしょうか。これからも、たかめる瞑想、ゆだねる瞑想まで学び、ぜひ自分のものとしたいと熱意を持っております。

私がこの瞑想講座に参加しようと思ったきっかけは、やはり、日常的に医療に関わっていて、それが病気を治療するという場面であれ、働いていて病気になったという場面であれ、薬を出すだけでは支えきれない患者さんの現状があったからです。

西洋医学を学び、投薬や面談に関してはある程度経験も積んできたつもりですが、精神科的な病となって悩む患者さんを見るにつけ、本当に薬だけで良いのだろうか、という思いがふつふつと湧いております。

もちろん、医療は全般において患者に関わっているべきであるとの思いは変わりませんが、医療はどうしても発症後の事後対応が多くなってしまいます。精神科領域に関しても、医療と並行して、もっと患者さん自身が、病気になる前から、主体的に自分のメンテナンスに関わるというような予防的・セルフケア的な手法を用いていかなければ本当の健康は導けないのではないか、と思うに至りました。

また、それとは別に、もう一つ、身体・精神・社会的問題への治療やケアだけでは解決しきれない、それらに次いで重要度の高い健康問題として、やはり、スピリチュアルな健康の問題というものは実に人の心の奥深くに根深くあるものだ、と強く思った、ということもありました。

この予防的メンタルセルフケアの増進の必要性と、本当に納得して健康であるためのスピリチュアル・ウェルビーイングについても検討するべき、という2つの観点から、これからの日本の医療の有り様の中には新しい方法論が必要とされてくるのは確実と思います。

しかし、悲しいことに、現代においては、そのような問題を解決できる可能性を秘めた、宗教という教えが、一般的に身近なものになっていません。

宗教という言葉だけでも嫌になってしまう、避けてしまう、といういわゆる宗教アレルギーのために「この話は宗教っぽい」と一度感じてしまうと、医療者も患者さんも受け付けなくなってしまう、という状況があり、このような論点は誰もが薄々気づいているにも関わらず、医療の中ではあまり語られてきませんでした。

しかし、大下先生に教えていただいた、この臨床瞑想法は、そのようなセンシティブな患者さんの心の奥深く、つまりスピリチュアルな部分に関わる内容であるうえに、予防的セルフケアにも使うことができて、なおかつ、もっとも重要な部分として、宗教的な部分を前に出さず、あくまでも臨床で「実際に使っていくことのできる」瞑想法であったというところが今までにない画期的なものであったと感動しました。

瞑想を4つのやり方に分け、それぞれの特徴を理解することと、そして実際に自分が体験できることで、効果を実感できます。この瞑想の効果は、時間が経つにつれ自分の中により深く染み込んでいくような感覚があり、できれば毎日短時間でも続けることに意味がある、とよくわかりました。そのような体験を経て、周りにも同様に体験してみたらどうか、と勧めてみたくもなります。使い分けも楽しいものと感じます。例えば、寝る前はゆるめる瞑想で体と心をしっかり緩めて安眠し、もやもやした悩みに苛まれたときは、みつめる瞑想で向き合って体と心を調整し、と工夫ができます。それも続けていこう、と思うモチベーションになります。

以上、徒然に書いてまいりましたが、7月の上級研修でもどうぞよろしくお願いいたします。

このような瞑想が、文字通り臨床の現場で広く活用されたときに、精神科臨床がどうなっていくのか、興味深く思います。広めていく一助になることを目指して、まずは日々少しでも瞑想するよう、心がけていきたいと思います。

どうもありがとうございました。今後共どうぞご指導よろしくお願いいたします。

 

以上




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