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もう、悩まない―「いま」を心安らかに生きるために

2011-06-29

単行本: 240ページ
出版社: 佼成出版社 (2011/6/29)
言語 日本語
ISBN-10: 4333024897
ISBN-13: 978-4333024896
発売日: 2011/6/29
商品の寸法: 18.6 x 13 x 1.8 cm

◆価格: ¥ 1,575

 

◆内容説明

飛騨千光寺の住職である大下大圓氏が、仏教を基にした「スピリチュアル・ケア」を用いながら、読者の悩み・苦しみに答えていく一冊。
「生きるのがつらい」「人間関係がうまくいかない」――という若者たちのために、大下氏は「スピリチュアル・セミナー」を行い、心の対話を通して生きる質を高めることに力を注いでいます。
本書には若い世代が「自分本来の生きるエネルギー」を取り戻すためのヒントが紹介されています。

◆出版社からのコメント

ここがポイント【・幸せは、いつの瞬間も、自分の手と心の中にあることに気づくことができる】【恋愛・仕事・人間関係など身近な悩みに対して、平易な言葉で答えてくれる】
【無理をしない生き方、自分本来の生きるエネルギーを再確認することができる】 

【編集者コメント】家族関係・人間関係・子育て・仕事・老い、病・死、死後の世界――今の若い世代が抱える悩み・苦しみを受け止め、生きる質を高めるヒントが満載の一冊です。
幸せは、いつの瞬間も、自分の手と心の中にあることを平易な言葉で伝えてくれる内容になっています。

 

 

◆大下住職よりコメント

先日、ある出版社の女性編集者とお話しをしていたときのこと。その方が、次のようなことをおっしゃいました。

「私はこの仕事が、自分に向いていないのではないかと思うことがあります。積極的ではないし、いま先生とお話ししていても、言葉がうまくでてこなかったり、頭が整理できない……。何年たっても自信がもてないのです」

 私は少し間を置いてから、彼女にいいました。

「ダメな人間なんて、世の中にはいないのですよ。むしろ、そうした自分を逆手にとるべきです。誰もが積極的である必要はないし、日本人らしい奥ゆかしさというのは、本来、素晴らしい長所ですよ」

 すると、彼女の表情はみるみるほころんでいきました。そして、次のように言葉を繋げたのです。

「私のような悩みを抱えている人は、いまの世の中にいっぱいいるのではないかと思うのです。『しっかりしなければ』と、毎日必死に働いているのだけれど、なかなかうまくいかない。そんな人たちに向けて、大下先生にスピリチュアルな側面から〝心の安心を得る生き方〟についてご執筆していただきたいと思い、今日は勇気をだして先生のところにご依頼にうかがったのです」

 この女性編集者の思いを一冊の本にまとめることも、大切なご縁と考え、お引き受けすることにしました。

 私は岐阜県高山市にある飛騨千光寺の住職をしています。僧侶というと、一般の人たちには法事でお経を読む人というイメージしかないかもしれません。確かにそれも僧侶の大切な役目ですが、私は他にもいろいろな活動をしています。病気の患者さんに寄り添う医療ボランティア(スピリチュアルケア)をはじめ、国際NGO活動、自死を抑止するためのNPO法人の活動、地域の高齢者との交流、引きこもりや不登校の子どもたちの受け入れ、さらには心に問題を抱える人や、子育て中の若いお母さんを対象に瞑想会、セミナー、研修会を開いたり、個別の相談も受けています。

 このうち、お寺へ相談にこられる方は、さまざまな悩みを抱えておられます。人間関係や仕事にまつわること、子育てに関すること、将来への不安などが多くを占めますが、共通しているのは「いまの自分の状況を変えて苦しみから解放されたい」と考えているところです。

 私のところへ相談にこられたからといって、何も私が明快な回答をバシッとひとこといって、すぐに解決するわけではありません。そんなことをしなくても、相談者の方は解決の糸口を自分の中にちゃんともっています。いかにそれをうまく引き出すか、それが私の役割です。

 相談に訪れた方の心が変化していくプロセスはさまざまです。初日にお話しをしているあいだにどんどん変わっていく人もたくさんいます。

 心の中の思いを口から吐き出すと、埋没していた意識が呼び覚まされていきます。そして同時に、言論化することによって、自分の中の意識を客観視できます。すると、悩んでいる自分とは別の、もう一人の自分が状況を冷静に判断し、整理がついていきます。これで解決してしまうケースもあります。本人が自ら「それはこうしたら、こうなるかもしれない」と気づき、蓄積されていた思いが抜けてくるのです。語るということは、自分を確認するということなのです。

 私は特別なことをしているわけではありません。相談者の方のお話しにじっくり耳を傾け、「あなたはどうしたいのですか? どうしたらいいと思うのですか?」と問いかけていきます。相談者の方が心の内を開くことをひたすら待つのです。そうしているうちに、たいていの人は自分で問題点を探り当てます。それに対して「では、その部分を一緒に考えましょう」とお伝えする。私の役目はそういったものです。

 こういうと、私の存在はなくてもいいような気がするかもしれません。しかし、人に聞いてもらうというところが大きなポイントなのです。根気強く耳を傾けてくれる人に語ることで、自分を確認することができます。そこに余計なアドバイスは必要ないと考えています。聴くことにも実は大変な技術がいるのです。

 もう一つ私が大切にしているのは、言葉だけではなく「一緒にやってみる」ということです。お経を一緒に唱えたり、瞑想を一緒にしたり、山を一緒に歩いてみる。これは四国お遍路の「同行二人」の考え方に基づくものです。

 本来の四国お遍路でいう「同行二人」は、お遍路する人の傍らにはつねにお大師さまという霊的な存在があって、その守りを得ていることを意味します。日常生活の場でも同様に、苦しいときは自分と一緒に歩いてくれたり走ってくれたりする伴走者の近くにいましょう、そういう人を頼っていきましょうということで、私のところへこられた方に対しては、私が仮の伴走者となるわけです。

 心のバランスが取れてくれば、悩みや苦しみはやわらぎ、意識が活性化し、生活が動いていきます。よい循環になっていくのです。逆にいうと、心のバランスが崩れていると、その循環にゆがみが生じて、ゆがんだままどんどん膨らんでいきます。

 理想としては、親が子育ての段階で、子どものよき伴走者となり、家族関係、あるいは生活習慣をしっかり構築していくと、心のバランスの崩れにくい人間に育ちます。さらに、大人になってからでも、ゆがみに気づいた段階で「魂の生き直し」をおこなえば、ゆがみを修復することは可能です。「自分はこういうところが足りない」「この辺のバランスが崩れているな」と気づけば、そこを補っていくような生き方に切り替えていくのです。もう一回修正して生き直す。もう一回そこを再挑戦するのです。

 いま気づいた時点から人生は修正できる、私はいつもそうお話ししています。

 私が講師をしている名古屋大学の学生にも、授業の中で「魂の生き直し」の話をよくします。すると、あるとき一人の男子学生が「先生のお寺に泊まりに行っていいですか?」と質問してきたので、「いいよ、いらっしゃい」ということで、数日後にやってきました。

 お寺にきたいというからには、何か思うところがあったのだろうと思います。しかし、彼のほうから具体的に相談してくる様子はなかったので、私もあえて踏み込まずにおきました。そして、いつものように本堂で瞑想してもらったり、日常の雑事を手伝ってもらったりしながら何気なく話しをする中で、ふだん何を食べているのか尋ねると、即席麺ばかり口にしているといいます。そこで野菜たっぷりの料理を食べさせたところ、

「野菜ってうまいですね。これからはこういうものを食べるようにします」

 そういって満足して帰っていきました。ただそれだけのことなのです。それだけのことなのですが、以来、彼は本気で〝食べることの大切さ〟を考えるようになりました。そして、野菜をしっかり取り入れた食生活を送るうちに、生活全般のリズムが整い、心のバランスを取り戻していったのです。こうしたケースもあるのです。

 日常的に何を食べているかということは、本当に大切なことなのです。人は理屈で動いているのではなく、基本的に本能的なものがベースで動いています。ですから、心理学などでいくら心を分析しても、問題の解決にはなかなか繋がらないことがあります。もっと本能の部分にダイレクトに〝効く〟要素として、食べるという行為があります。食べるという行為は本能に直結していて、生き方そのものに繋がっていきます。ここを微調整すると、すべての生活習慣が自然に改善されていきます。その結果として、青年になってからでも意外に早く心のバランスが修正できることが、彼の変化を見てあらためて実感しました。仏教の“心身一如”の考え方です。

 微調整する能力は、もともと誰にでも備わっています。理屈が先行して迷路にはまりこんでしまっているようなときでも、ちょっとヒントを与えたり、背中を押してあげると、ハッと自分で気づいて動きはじめるのです。

 仏教では苦しみのことを「ドゥッカ」と表現をします。ドゥッカとはサンスクリット語で〝思い通りにならないこと〟を意味します。自分の思い通りにならないから苦しい。つまり、苦というのは、痛いとかそういうことではないのですね。思い通りにならないという表現なのです。そこが人間のいちばんつらいところ、というわけです。

 考えてみますと、確かにたいていのことはすべてそうです。身体のことにしても、日常のことにしても、仕事のことにしても、思い通りにいけばこれほど楽しい世界はない。ですが、思い通りにならないことが多いから苦しみがだんだんと増えていく。そしてじつは、思い通りにならないことの大部分は自分がつくりだしているのです。だから、そこのところをうまく修正し、切り替えていくことが「生き直し」であると、私は考えています。

 いずれにしても、幸せが一生続くことがないように、好ましくないことも一生続くことはありません。仏教では「諸行無常」といいますが、すべての事象はつねに動いています。よいことも悪いことも固定されることはなく、必ず変化していきます。

 ですから、苦しみを抱えている人は、いますぐ事態が変わることはなくても、永遠にその状況が続くわけではないことを知っておいてほしいのです。

 時代は動いていきます。四面楚歌のように思える時期があっても、いつか道は開けていく。解決に向かって状況は動いていきます。なんとかなるのです。

 悩みを抱えている若者はもちろんのこと、その親御さん世代にもぜひ本書を読んでいただきたいと思っています。なぜなら、人の悩み・苦しみは、本人の生まれつきの課題もありますが、の大半は親子関係、家族関係、思考習慣に起因していると、私は考えているからです。

 本書を読み終えた若者が自分の親に「ちょっと読んでみない?」と勧めたり、逆に親御さんが先に読んで、「うちの子にも読ませてみたい」と感じていただければ本当にうれしく思います。

 

平成二十三年 弥生   大下大圓

 

 

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