寺号:千光寺
山号:袈裟山(けさざん)
開山:両面宿儺(りょうめんすくな) 4世紀
開基:真如法親王(しんにょほうしんのう)(平城天皇皇太子・弘法大師十大弟子の一人)
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面千手観音菩薩
住所:〒506-2135 岐阜県高山市丹生川町下保1553
電話: 0577-78-1021
住職:大下真海(おおした しんかい)中興第二十五世
長老:大下大圓(おおした だいえん)高野山傳燈大阿闍梨
霊場:飛騨三十三観音 第三十三番
   飛騨八観音 第六番
和歌:「世を照らす 千々の光を とどめてぞ けさやまでらに 有明の月」

目次

千光寺について

飛騨国千光寺は、古え薫る仁徳天皇の御代、今から1600年前に飛騨の豪族両面宿儺(りょうめんすくな)が古代信仰の祈りの場所として開き、約1200年前に真如法親王(弘法大師の十大弟子の一人)が仏教寺院として建立された古刹です。また、この間に、泰澄師が白山神を勧請したとも伝えられています。高野山真言宗に属する密教寺院で、山岳仏教の修行の古風を今に伝えています。最近では「円空仏の寺」としても、その名は広く知られています。
海抜約900メートルの山中に広がる寺の境内には、大慈門の近くに「円空仏寺宝館」があり、館内には64体の円空仏と寺宝の一部が展示されています。さらに、本堂や庫裡などがある境内中心地を囲むように、山中に整備された八十八ヵ所の遍路道には、樹齢1200年を超える五本杉(国指定天然記念物)や愛宕社鎮守堂などの信仰の場所が点在し、山全体が信仰の対象となっています。
どうぞゆっくりと参拝し、山のエネルギーや空気、森林の生命力自体を感じてください。

千光寺の歴史

千光寺は1600年前、仁徳天皇の時代に、乗鞍山麓に住んでいた両面宿儺が開山したと伝わります。仏教の寺院としては、平安時代に、嵯峨天皇の皇子で弘法大師の十大弟子の一人、真如法親王が当山に登山され、本尊千手観音を拝し、法華経一部八巻と二十五条袈裟が奉祀されていたことから袈裟山千光寺と名づけ、自ら開基になりました。それ以来高野山の末寺となり、「飛騨の高野山」とも呼ばれています。また、鎮護国家を祈祷する道場でもあったため、朝廷の帰依を受けて寺運は隆昌を極め、山上に19の院坊を持ち、飛騨国内に30ヶ寺の末寺をかまえていました。

ところが、室町時代に飛騨国内の内乱で一時衰退し、戦国時代に入った永禄7年(1564年)、甲斐の武田軍勢が飛騨に攻め入った折、全山炎に包まれてしまいます。そして、諸伽藍や末寺、数万の経典儀軌等も悉く灰燼に帰してしまいました。しかし、本尊は守られ、その法灯は今も連綿として続いています。本尊は秘仏となっており、7年に一度御開帳法会が開かれます。
現在の堂宇は、江戸時代以降、高山城主金森長近公を始めとして、檀信徒や高山の旦那衆の力によって順次再興、建立されたものです。江戸時代後期までは、飛騨一宮神社の別当職も兼ね、天皇御即位の際には、国家安穏玉体安穏、万民豊楽、諸人快楽を祈念して一位の笏木の献上もしていました。

千光寺の自然

 建物周辺からは御嶽山、乗鞍岳をはじめとして、位山・船山などが見えるスポットがあり、そうした山々を遥拝できる場所であることも千光寺が信仰の地として長く維持されてきた理由の一つです。秋から春にかけては、丹生川盆地に濃い霧が発生して雲海が見られます。その雲海越しに見える御嶽山の景色は、明治期には「飛騨八景・霧の海」として知られました。冬の千光寺はとても厳しく、積雪は2mを超えることもありますが、凛と張り詰めた境内から眺める快晴の御嶽山は清々しさを感じます。


山内には、樹齢数百年のモミやスギが点在し、その他の樹木も広範囲で巨木を見ることができます。なかでも、五本杉は樹齢1,200年を超える巨木で、国の天然記念物に指定されており、まさに千光寺の歴史の生き証人と言えます。
 一方で、本堂等の建物周辺は永い世代にわたって人の手によって維持されてきており、園芸植物を含めて様々な植生を見ることができます。花や紅葉は、春から秋にかけて雪解けが進む3月後半からフクジュソウ、スイセンに次いで、同じころにウメやサクラも楽しめます。桜はヤマザクラを中心として、シダレ、オオシマなどが4月中旬から5月上旬にかけて楽しめます。5月は新緑、6月にはササユリ、7月にはアジサイ、8月にはナツスイセン、9月にはハギとヒガンバナ、10月にはシュウメイギク、10月後半から11月上旬にはイロハモミジやドウダンツツジの紅葉がそれぞれ見頃です。
 また、ニホンカモシカや多くの野鳥をはじめ、様々な野生動物に出会うこともできます。なお、境内を含む周辺一帯は、岐阜県自然環境保護条例に基づく「緑地環境保全地域」及び「鳥獣特別保護地区」に指定されており、採取や持ち帰りは禁じられています。