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諸堂案内

当山は飛騨地方の東方、高山盆地の北東に位置し、古くからこの山全体が信仰の対象となってきました。千光寺とは【本堂、庫裡(くり)等の建物だけではなく、この山全体】のことでもあります。参拝していただく際には、この山のエネルギーや空気、森林の生命力自体をも感じていただきたいと思います。
時間があり、健脚である方は、途中下車して、歩いてお参してはいかがでしょうか。
具体的な途中下車の場所としては、まず山腹の五本杉があります。樹齢1200年を超え、国の天然記念物に指定されています。このお寺の歴史を見てきた生き証人です。ここを起点に、山内88ヶ所の巡礼もできます(1周3時間くらい)。その少し上にお寺の入り口、仁王門があります(五本杉から歩いて仁王門へ行くこともできます)。
この五本杉や八十八か所道をお参りされる方は、車道以外は無舗装の場所や急峻な場所もありますので、歩きやすい服装や靴をお勧めします。

①本堂(ほんどう)

県指定有形文化財。永禄7年(1565)の武田来攻によって一山伽藍は焼失し、その後、飛騨を平定した金森長近は信州に逃れていた、亮輝、玄海に命じて再興をはかりました。亮輝代には一宇の本尊安置の堂宇を建立しましたが、十分なものとはいえず、中興第六世舜慶法印の代、萬治2年(1659)9月に現在の本堂(観音堂とも呼ぶ)を再建しました。本尊は十一面千手観音菩薩、1寸8分の秘仏は7年毎に開帳されます。血染め天井・双龍図には2つの由緒があり、かつて別の屋敷にあった戦国武士切腹の床板を、本堂再建時に供養のために使用しています。この際、狩野探雪(探幽次男)が、この天井に龍二双を描きました。

②庫裏(くり)

 本堂再建後に順次再建され、持仏堂には歴代住職と檀信徒の位牌などが祀られています。この他、太い梁が使われた吹き抜けの構造になっている囲炉裏の間(いろりのま・市指定有形文化財)は参詣者の接待、休憩所として使われてます。
円空上人もこの場で暖を取りながら、住職・舜乗和上と親しく談義し、仏像を刻んだのでしょう。

③愛宕社鎮守堂(あたごしゃちんじゅどう)


市指定有形文化財。当山の鎮守を祀ります。建物は本堂よりも古く、天正17年ころ再建され、寛政5年(1793)と平成元年に大規模な修復が行われています。愛宕神は火防・火伏の神であり、勝軍地蔵を本地仏とするところから、武神としての信仰もあります。

④バザラホール=金剛堂(国際平和瞑想センター)


瞑想など人間性回復のプログラムの研修を中心として、人々の心の平穏と世界平和を祈る活動の拠点として令和元年(2019)に建立されました。各種研修や修行の他、300人規模の宗教典礼や講演会、コンサートなども開催できる施設です。
本尊は大日如来、その両脇や道場内にはアジアの仏教圏の仏像や曼荼羅などが安置され、中央には、境内で切り出された樹齢150年の杉の丸柱があり、それを中心にラビリンス(歩く瞑想の道)が敷設してあります。
瞑想研修・施設使用等の詳細はこちら

⑤円空仏寺宝館(えんくうぶつじほうかん)

 千光寺の寺宝や周辺の自然環境保護を目的とした展示を行うために、昭和52年(1977)に建設され、現在は千光寺に移管され、江戸時代の僧・円空上人作の円空仏(63体)の他、数々の寺宝を管理・展示しています。円空作「両面宿儺坐像」・「三十三観音(観音立像群)」・「賓頭盧像」・「袈裟百首」「梵鐘」などが常設展示されています。
円空仏寺宝館の詳細はこちら

⑥極楽門(ごくらくもん)

 かつては仁王門と呼ばれ、永禄7年の一山焼失後に、仮門が建立され、現在の門は、焼失から450年という節目にあわせて、平成25年(2013)に再建立されたもので、通称も極楽門と改められ、天井には飛騨の花々や飛天像が描かれています。両脇を固める金剛力士像(仁王像)は、春日仏師の作とされ、当山住職が別当職を務めていた飛騨一宮水無神社に安置されていたものが江戸後期に遷座されており、再建立に併せて修復されました。かつて円空上人は、この門付近の欅(けやき)に立木仁王像(現在は円空仏寺宝館に安置)を顕造したと言われています。
また、門を抜けて続く石段は、煩悩の数に因んで百八段あり、煩悩を落としながら階段を登って本堂に至ります。

⑦納骨塔(のうこつとう)


檀信徒らの納骨を受けるために平成元年に建立され、現在は檀信徒に限らず、広く一般からも納骨を受けています。下から立方体、半球、九輪塔を重ねた独特のつくりは、密教系の寺院に見られる多宝塔形式と呼ばれ、本尊は釈迦如来を安置しており、内部には西側からステンドグラスの光が差し込みます。

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⑧パゴダ・仏舎利塔

 パゴダとは仏塔の英語表記であり、サンスクリット語ではストゥーパと言う。アジアの仏教圏にある仏塔と同じく、仏舎利(お釈迦様の遺骨)や経典を安置するための建物です。千光寺の塔にはスリランカ国ヴァルンガラ・カンデ・プラーナ・ラジャマハ寺院から伝わった本物の仏舎利(真舎利)が納められており、大変貴重な場所です。(世界でも本物の仏舎利を安置する寺院はごく限られています。)
塔自体は令和2年に篤信者の寄進によって建立され、本尊にはカンボジアの釈迦仏、その前にスリランカの仏足石を安置し、塔の下にはブッダが苦行の末に沐浴したインドの川・尼連禅河(にれんぜんが)の砂が敷いてあります。

⑨開山・両面宿儺堂(りょうめんすくなどう)


市指定有形文化財。千光寺が仏教寺院として成立する以前に、古代の飛騨を治め、当山も祈りの場所として開いたとされる、伝説の人物・両面宿儺(りょうめんすくな)を祀ります。日本書記の中に「宿儺(すくな)」という名前で登場し、前後に顔と手足が4本ずつある異形をなし、大和朝廷に与しない逆賊として討伐されたと記されています。
一方、地元では千光寺を中心に、飛騨を開拓した有力者としての伝説が残っており、丹生川町日面・善久寺、金山町・観音堂、関市下之保・日龍峰寺などにも伝わっています。
お堂自体は慶長3年(1598)に建立された土蔵で中には石造の宿儺像が安置されており、前後の小窓からぞれぞれの顔を拝むことができます。

両面宿儺についての詳細はこちら

⑩護摩堂(ごまどう)

 密教において特に重要な儀式である護摩(ごま)の秘法を行うお堂。中心にある護摩壇に火をつけ、供物や護摩木を投じて本尊に供養を捧げ、祈願を行います。本尊には不動明王を安置し、両脇には西国三十三観音霊場の諸尊を祀っています。

祈祷・回向についてはこちら→

⑪けさやま会館

檀信徒が利用する会館として昭和35年ごろに建てられた。現在は法要時のお斎会場や研修等参拝者の休憩スペースとして使われています。

⑫鐘楼堂(しょうろうどう)


かつて時を告げていた鐘は天文15年(1546)に当時の領主・三木直頼が寄進したものがあり、鐘楼堂の場所は山の中腹(鳥越と呼ばれる付近)にありました。永禄7年の武田軍来攻の折には、釣り鐘が真っ赤に焼けて山を転げ落ち、武田軍を悩ませたとの伝説があります(現在は円空仏寺宝館安置)。
現在の建物は江戸時代の再建で、鐘も太平洋戦争後、昭和25年に鋳造されたものが使用されています。

⑬薬師遍路堂(やくしへんろどう)

 かつて下保白山神社の拝殿として使われていた建物を、太平洋戦争後、薬師如来の遷座に伴って移築されたものです。平成6年(1994)に篤信の大工によって修復された際、四国八十八ヵ所遍路の各寺院の本尊と写真が掲げられて、薬師遍路堂と呼ばれるようになりました。
本尊には弘法大師像と塑像の薬師如来立像、天井にはインド・ブッダガヤで作られた釈迦仏が安置してあります。

⑭弁天堂(べんてんどう)

 弁天池の中央に祀られている。弁天は弁財天(弁才天)とも呼ばれ、七福神の一人でも知られている仏を祀ります。
もともとはバラモン教・ヒンドゥー教の「河をつかさどる神」が仏教に取り込まれたもので、豊穣をもたらす存在として信仰されていた。日本では時代によって、武運、水・豊穣、金運・財運、学業・技芸、女性守護・縁結びなどの信仰と結びついている。
年中枯れることのないこの池には5月ごろには山に住むガマガエル(地元では「どうさい」と呼ぶ)が集まってきて卵を産み、6月ごろにはモリアオガエルの卵も見ることができる。
ここの弁天様は水・豊穣、縁結び・子孫繁栄にご利益があります。

⑮六角瞑想堂(ろっかくめいそうどう)

 平成15年(2003)に建立されたお堂で、八十八ヵ所遍路道からさらに、山を登った三角点付近に立つ、六角柱の形をしたお堂です。東に乗鞍岳、南に御嶽山、西に白山という3つの霊峰が眺められる位置にあり、大自然のエネルギーを感じながら、瞑想が行える場所になっています(利用には予約が必要です)。

⑯五本杉(ごほんすぎ)


国指定天然記念物。樹齢約1,200年以上、樹高約50m、幹の周囲12mの杉の巨木です。一つの株から地上約6m付近で3本に分かれ、さらに上部で2本が分かれ、5本が同じ位の太さで直立しています。乱世の戦禍を生き延びた千光寺の信仰の歴史を物語る証人である。
幹にかけられている大注連縄は、7年毎に行われる本尊の御開帳法要の際に、地元檀信徒の若者らによって新しく付け替えられている。

⑰~⑲八十八ヵ所遍路道(1番~88番)

 明治期に作られた巡礼の道は、五本杉を起終点として、一周約3㎞、高低差約300mの登山道に添って八十八個の祠が点在し、それぞれの祠には四国八十八ヵ所の各札所のお砂とともに、本尊と弘法大師の石像が祀られています。信仰・祈りの道として、地元檀信徒によって丁寧に整備されています。
五本杉から極楽門まで(1番~23番)は急登が続き、百八階段を登って、本堂に至ります。24番を過ぎ、弁天堂から再び山道に入り、愛宕堂を経て、38番を最高点に、あとは緩やかな下りとなります。68番を過ぎて、大慈門駐車場を横切り、69番から80番まで緩やかな下りとなり、日露戦争戦没者碑を経て81番からやや勾配のきつい坂を下り終えると、五本杉駐車場に出て88番に至ります(軽登山以上の装備をお勧めします)。

 

年中行事

【1月】修正会 ●しゅしょうえ

正月とは本来、その年の豊穣(ほうじょう)を司る歳神様(としがみさま)をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」といっています。
この行事は「正」月に「修」する儀式であることから修正会と呼ばれます。もとは、礼仏して罪過を懺悔(さんげ)することにより、除災招福・五穀豊穣・国家安穏を祈る、悔過(けか)と呼ばれるものでした。
千光寺では、大晦日にはに除夜の鐘つきに続き、新年挨拶、越年瞑想、新年祈祷法要、檀家さんと一緒に江戸時代から続く「真言念誦大数珠まわし」などを行います。

【2月】節分会 ●せつぶんえ

星供曼荼羅をおまつりし、節分法会が厳修されます。各人の北斗七星・十二宮・九曜二十八宿の星をまつることで、除災招福・福寿増長を祈念します。

 

【3月】春彼岸法要 ●はるひがんほうよう

春のお彼岸は春分の日を挟んで前後3日間、一週間に先祖供養を行います。
千光寺では、お彼岸の中日に先祖供養の法要を行っております。

【5月】正御影供法要 ●しょうみえくほうよう

旧暦3月21日はお大師さまが御入定(ごにゅうじょう)された日です。
御影供はお大師さまが御入定されて76年目の延喜10年(910年)3月21日、京都東寺(とうじ)にあります「潅頂院(かんぢょういん)」というお堂にて、当時の長者(つまり一番偉い方)観賢僧正(かんげんそうじょう)がお始めになられたといわれ、高野山ではそれより遅れて久安4年(1148年)3月21日に金剛・胎蔵の両秘法を修法して報恩を捧げたことが伝えられています。
千光寺では、山内八十八ヶ所霊場総供養会、正御影供法要が厳修されます。

【8月】盆施餓鬼法要 ●ぼんせがきほうよう

・盆(ぼん)・・・時節を表します。字の由来は、お皿を分けると書く。
・施(せ)・・・施し(ほどこし)を意味します。
・餓鬼(がき)・・・六道の一つに餓鬼道があり、食に餓え(うえ)、苦しみ、争い、奪い合う者。
六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つの道があると言われております。即ち、お盆の時は食物や供物を皿に分け、ご先祖様はもちろん、ご先祖様が餓鬼道に落ちないように願い、餓鬼にもお供えを施す事です。
千光寺では、千光寺の歴代住職や関係者、檀信徒の供養が行われます。

【9月】秋彼岸法要 ●あきひがんほうよう

秋のお彼岸は秋分の日を挟んで前後3日間、一週間です。
千光寺では、先祖供養の法要を行っております。

【11月】光明真言講法要 ●こうみょうしんごんこうほうよう

光明真言土砂加持は弘法大師より伝わる真言密教の秘法です。
一度も人に踏まれたことのない深い山の土を光明真言で百八遍お加持してそのお砂を亡者の遺骨や墓などにかけてあげることにより、一粒でも砂がかかった場所は忽ち浄土となり、六道に落ちてどんなに苦しんでいるものでも、その苦しみから解放され、極楽浄土に往生できるとされます。その功徳は、生きている者も亡くなっている者も皆、大日如来の絶大なる慈悲に包まれ平安を得ることができるという言い伝えがあります。
千光寺ではこの法要が終わるといよいよ冬の訪れを待つばかりとなります。午前中は寺役員によります冬囲い作業を行い、午後に本堂で法要があり、一人ひとりにお加持が行なわれます。

【12月】大晦日 除夜鐘つき ●じょやかねつき

大晦日は飛騨高山の正月飾り「花餅」をつけて、除夜の鐘つきを行います。
鐘つきの後は「修正会」を執り行います。